2011年05月13日

会津若松レポート(1):観光客で賑わうはずの町も閑散と・・・

今度新しくGive Oneガイドのメンバーになったシュミット亜希子です。ゴールデンウィーク前半に、故郷の会津若松を訪れました。原発から約100km離れた会津若松市ですが、放射線量を毎日気にしながらの生活に、言葉にならない大きな不安を感じました。

被災地にいることを実感した、今回の訪問についてレポートします。

高速道路は例年に比べて交通量も少なくさびしい感じを受けましたが、自衛隊車両とトラックがほとんどだった4月頭に比べると普通自動車の割合が増え一般の観光・帰省客が増えていることが伺えました。福島県に近づくにつれて、瓦屋根が剥がれ落ちている家屋が目立ってきます。整備済みの道路がところどころでこぼこしているため、まだ速度規制がかけられています。このような地震の爪あとはまだまだあちらこちらに見受けられます。

猪苗代ICをおりると、この時期観光客でにぎわっているはずの町は閑散としていました。毎年ゴールデンウィークにはひどい渋滞が発生する国道も同様でした。有名な観光施設には若干客が見られましたが、そのほとんどはいわき、福島ナンバーです。避難している方々が気分転換に外出していたのかもしれません。「白虎隊」で知られる飯盛山も、普段は閉店している土産屋が久しぶりに店を開いていたものの、例年の平日なみの人通りでした。退職後、観光施設で手伝いをしている父も、今年はまったく話にならないと嘆いていました。会津若松市長は先日ユーチューブを通して観光地としての窮状を世界に訴えました。

写真2_300.jpg


一方、カー用品販売店に勤める知人は、原発事故後スタッドレスタイヤのまま避難してきた人が多く、いわき、福島ナンバーのタイヤ交換が多く毎日残業しているといいます。そのため、売り上げは昨年同時期の約2倍に上るそうです。旅館を営む知人は1部屋のみを一般客用に確保し、ほかは全て避難者向けに特別料金で提供しており、満室の状態が続いているといいます。1泊3食付で5000円、いつもどおりの料理では採算が取れないため、カレーライスや麺類、ときにはまかない料理を出すなど長期にわたる避難生活でも飽きないようにと試行錯誤を重ねているそうです。


次回は、会津若松市で生活を続けている人々の様子をレポートします。


会津若松レポート(2)はこちら


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posted by Watanabe at 19:52 | Comment(0) | TrackBack(0) | ガイド独自記事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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