2011年05月16日

会津若松レポート(2):原発事故を境に変わってしまった故郷の現実

前回に引き続き、シュミット亜希子が故郷の会津若松を訪問した際のレポートをお送りします。


津波や原発事故の影響で、町の機能をそのまま会津若松市に移したところもあり、一気に人口は増えたものの雇用はおいつきません。また市で特別雇用枠を準備しても情報が行き届かず応募者が少ないなどの問題もでてきています。自主避難してきた人と行政の支援を受けて避難してきた人が断絶されてしまい、情報が共有できていないことも大きな理由の一つだと考えられています。

このような状況の中でも、そこに住む人々は生活を続けていかなければなりません。ゴールデンウィーク中に2歳のお誕生日を迎えた姪は主治医の指示を受けて、外出する際にはマスク・帽子を着用し、帰宅したらすぐに手と顔を洗います。外出は一日に30分程度、公園にもなかなかいけません。もちろん全員がこのような対応をしているわけではないですが、将来のリスクを考えると最善を尽くしたいというのが妹夫婦の意見です。

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震災から約2ヶ月、今も福島県内ではテレビをつけると常に災害関連情報を知らせるスーパーが表示され、一時間ごとの放射線量が知らされます。非難区域でなくても放射線量が高い地域も多いです。新聞では今も新たな身元不明遺体の特徴を知らせる記事や、避難者への生活支援情報が毎日特集されています。原発から約100km離れた会津若松市でも、被災地にいることを実感します。この生活がいつまで続くのか、こどもたちが安心して外で遊べる日はいつやってくるのか、以前とまったく変わらない風景、原発事故を境にすっかり変わってしまった現実……言葉にならない大きな不安だけが胸に迫ってきます。改めて震災、そして原発事故からの復興には長期にわたる継続的な支援が必要であると強く感じました。


写真_300.jpg


(シュミット亜希子)

会津若松レポート(1)はこちら


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